傷跡 80


 

 港町の早朝。
 朝もやの中にゆるりと太陽の日差しが差し込み、いっそう柔らかさを増す。家々の窓や煙突からは香ばしい匂いが外へと逃げていく。
 未だ完全に起きていない街はどこか静かでこれからの一日の始まりを待つかのようだった。
 
「…あれ?」
 
 ベッドの上。むくりとおきた白刃は首をかしげ、唸る。
 おかしい。なんでだ。
 
「なんだ。起きていたのか」
「あ、おはよう」
 
 彼女は扉から入ってきた青年をみると微笑む。そして、再び首をかしげる少女にオーディンが尋ねた。
 
「どうかしたか」
「ううん。いや、別にたいしたことじゃないんだけど…」
「なんだ」
「いや、その…うーん」
 
 白刃が不思議そうに顔をしかめながら首をかしげる。それに大体、察しがついたオーディンは口を挟むことなく彼女の言葉を待つ。
 
「ね、オーディン。あたし…どうやってベッドに入ったんだっけ?」
 
 そのすっとぼけた質問にか、それとも自分の予感が当たったことにかオーディンは答え変わりに深いため息を吐いた。
 
 
 
 
「おはようございます」
「おう。お嬢ちゃん」
「あら。おはよう、気分はどう?」
 
 宿の食堂に行くとアリアとクロードが一緒に食事を取っていた。そこに促されるまま白刃とオーディンも座る。
 
「気分?ですか?別に平気ですけど…」
 
 何かあっただろうかと首をかしげる彼女にアリア朗らかに笑い、朝食のパンとスープを白刃に勧める。そしてクロードはオーディンを見る。
 
「………なあ、あれは覚えてないのか?」
「らしいな」
「へぇー。教えては?」
「必要があるのか」
 
 パンを食べながらオーディンがクロードに言葉を返すと彼はため息を吐く。
 
「面白くねぇなぁ」
「俺がお前に娯楽を提供してやる義理はない」
 
 取り付く島もないというのはまさにこのことかと、相手の言葉をぶった切るようにオーディンは返す。そんな彼にクロードは慣れているのか喉の奥で低く笑う。
 
「酷いやつだな」
「なんとでも」
 
 白刃はとなりで向き合いながら話をしているオーディンとクロードのやり取りを仲がいいなあていうか、オーディンが普通に人と話をしてるとどこか感心しながら見ていた。そして、今日は自分が街の見回りの方に回ることを思い出し、その経路などを聞こうと目の前にいるアリアに口を開いた。
 
 
 
 
 太陽は中天にかかるか、かからないかの時間帯。街の西方を白刃は歩いていた。
 街の巡回といっても、大通りからは外れた場所を見て回るだけだ。時に、近辺の住人に何か変わったことがあったかどうか聞いたり、魔力の気配がないか調べたり、異変があったりした場合は仲間同士で連絡を取るために通信用の魔石をそれぞれが持っている。
 
 白刃は魔力の反応があるかどうかを調べる探査のための≪陣≫を自分の周囲に張り巡らせながら、視線をさ迷わせる。そして、時折ちらりと前方斜め横の方を見ては、気まずい気分を味わっていた。
 横にはアリアがいて、昨日の情報を前方を歩く青年に話している。
 
「ヴェスタ、聞いているの?」
「ああ」
 
 とがめる響きを宿したそれにもヴェスタはその外見を裏切らない冷たさを感じさせる声で応じる。
 
 白刃は今朝のことを思い出す。アリアに巡回のことを話すとにこやかに自分とヴェスタと一緒に回るからと言われたのだ。その時は、知らない人だが、まあ大丈夫だろうと思っていたのだが。
 
 青年から感じ取れる緊張した空気のような威圧感は変わらず、思わず近づくのをためらうものだった。話しかけるなと全身で訴えているそれに自分は何かしでかしたのだろうかと真剣に悩むところだ。
 
「でも、ちょっと気になる情報もあったのよね」
「どんなものだ?」
「ね、白刃ちゃん」
 
 アリアに話を振られ、白刃は昨日の酒場で聞いた話を思い出す。
 
「領主のところに魔法士がいるって話ですか?」
「正解。元々、領主は体が弱い人っていうのは話したと思うけど、その魔法士が領主の体を見るようになってから体調が回復に向かっているって話よ」
「魔法士だから不思議じゃないだろう」
「そうだけど問題は…」
「体調が回復してきたのにも関わらず、今回の事件にまったく関与しないのがおかしいといっていたんです」
 
 白刃がアリアの言葉を引き継ぐとヴェスタが肩越しにその灰色の双眸を白刃に向ける。その双眸にどこか険が宿ったのに体を緊張させながらも、相手を見返すとふいと視線をそらされる。
 
 やっぱり何かやったんだろうか。ていうか初対面でなにもしようがないじゃないか、て、初対面とかは関係なくて。なにもしないけどさ。相手がなにもしてこないうちは。
 
「貴族なんてそんなもんだろう」
「否定はしないわね」
「貴族ってそういう人が多いんですか?」
 
 白刃の質問に二人の青年―――一人は自称、女だが―――の視線が彼女に向けられる。
 
「あーそうじゃない人も確かにいるけど…」
「そんなに世間知らずのくせによくあいつと旅をしていられるな」
「え………?」
 
 氷のような、刃の如く放たれた言葉。その灰色の双眸には確かな侮蔑の色。
 
「甘いだけの小娘が。お前はあいつのお荷物でしかないくせに」
「ヴェスタ!」
 
 アリアの鋭いとがめを含んだ声をあげた瞬間、空気を裂くような甲高い音が三人の鼓膜を揺らせた。

 

 


      TOP      

 

inserted by FC2 system