40

 

「自覚がなかったのはなんとも言えないわね」
「………」
「だな。まったく、ここまで鈍いとは」
「………」
「大体、あれだけ二人の世界を作っておいて無自覚っていうのは馬鹿よね」
「同感。しかも、相手に聞くってのは救いようがないな」
「……………人をいじめて楽しい?」
「いじめてないわよ」
「事実だ」
 
 親友と幼なじみからはっきりといわれ、一妃はぐうの音もでない。
 自覚なんてなかったのだ。そこにいるのは当たり前のようになっていて。なりすぎていて。
 
 学校から出た三人は、近くのファミレスに入っている。綺はパフェをぱくつき、静はコーヒーを飲んでいる。その横でテーブルに突っ伏している一妃。
 そんな彼女に静かな声がかかる。
 
「一妃。一つ聞くわ」
「なに?」
 
 顔を上げる一妃。目の前の親友は真剣で、真摯な眼差しを彼女に向けていた。自然と一妃も姿勢を正す。
 
「あの人の傍に自分以外の誰かがいることを、あなたは想像したことがある?そして、それを想像したときどう思うのか、考えたことがある?」
「え?」
 
 ファミレスのざわつきが一気に遠のく気がした。一妃は呆然とその言葉を脳裏に過ぎらせる。
 
「まあ、ちゃんと考えなさい。それで出た答えなら、わたしは何も言わないわ」
 
 迎えが来たから帰るわねと綺は颯爽と立ち上がり、出入り口へと向かう。
 
「あいつ、伝票押し付けたな」
 
 隣で静が苦く呟くのも一妃の耳には入らない。入っていても頭で理解できない。
 ぐるぐると回る思考の中に、ただ一つの感情が浮かび上がろうとしていた。
 
 
 
 
 都会では深夜零時まで営業する喫茶店はある。が、この店はいつも客足が夜の十九時になると少なくなる。それを見計らって店を閉めるのだ。
 従業員も帰った店内は、音楽も客のざわめきも、ましてや幸紀と敦樹の漫才じみたやり取りさえも―――ない、はずだった。
 
 派手な乾いたような、どこかを思いっきり叩いたような音が、静かな店内に響いた。
 同時に、かすかなうめき声。
 
「おっと」
 
 相手の振り向きざまに振るわれた拳を体をよこにずらして避ける喫茶店の店主、敦樹。一方、拳を振るった相手は、避けられたことに舌打ちをした。
 
「舌打ちするなよー朝」
「何、すんだ。いきなり」
「いや、有言実行ってやつだ。気にしない、気にしない」
 
 意味がわからん。そうため息をつく甥を敦樹は手招きする。
 手招きされてあごで促され、店の奥のテーブルに座る。敦樹は制服から普段着に着替えており、そのジャケットの胸ポケットから煙草とライターを取り出すと、煙草に火をつけ吸う。
 そういえば、最後に煙草を吸ってどれくらいたつだろうか。
 
「吸うか?」
「未成年に勧める保護者がどこにいる」
「ここにいるじゃないか」
「アホ」
 
 差し出された煙草を吸う気にもなれず、邪険に拒否をする。敦樹は笑いながら紫煙を吐き出す。
 
「叔母さんに怒られるぞ」
「家では吸ってないからいいんだ。それより、叔母さんじゃなくて、ユリア姉さまといえ」
「誰が言うか」
「朝」
「何だよ」
「何かあったのか?」
「…別に」
 
 朝葉は言ってからしまったと思う。敦樹は、返事が遅れたことに気づいたが、朝葉は話したくないことを察したらしく、内心でため息をついた。
 本当に、この甥は頑固で手がかかる。
 
「何かあったらいえよ。これでも人生の先輩だ」
「うるさい。帰る」
「朝葉」
 
 敦樹が席を立った朝葉の背中に声をかけた。彼は肩越しに叔父を見る。
 
「何があったかは知らん。聞こうとも思わん。が、後悔はするなよ」
 
 
 ―――後から、ああしとけばよかったと思うようなことはするなよ。
 
 
 重なる記憶。蘇る言葉。
 皺だらけの顔には、痛みがあった。そして、自分を案じる色も。
 
 朝葉は返事をせずに、そのまま店を出て行った。
 
 言われた言葉が脳裏を過ぎる。
 
 
 
 言わずにきた。ずっとだ。言わずにいれば、居心地のいい空気は壊れることなく、そのまま流れていくだけだった。
 手放すことは出来ない。気づいていても、そのときが来るのではないかと思っていた。
 
 
 
 幼い頃、育った施設の傍には偏屈な老人が古びた家に住んでいた。よく、他の子供たちと悪戯をしたりしに忍び込んだ。
 
 老人と会ったのは偶然だった。朝葉は昔から何かと年上に因縁をつけられることが多かった。その日も、近くの家の子供に嫌がらせを受け、逃げていた。その時、目に入ったのは老人の家だった。すぐさま庭に駆け込んだ。
 庭から飛び出てきた子供が、施設の子供だとすぐにわかったのだろう。その老人は、怒りもせず、殴られたと分かる傷をみると泣きもしない子供を抱き上げ、手当をした。
 
 そして。
 
「いいか。大人数で相手がきたら、狭い場所に誘導して、一対一で戦うように仕向けるんだぞ」
 
 などと、子供に教えることじゃないだろうソレというようなことを言い放った。
 
 
 
 バイクで道を走りながら、かすかに笑みが漏れる。
 
 施設を出るまで、何度か足を運んだ。そのたびに、偏屈だといわれていた老人が実は、優しい人物だと知った。ただ、頑固で人付き合いをあまりしないというだけだった。
 
「いいか。後から、ああしとけばよかったと思うようにはなるなよ。確かにその時、その時、選択できるものは限られとるが、それでも自分で考えることで変わるもんもある。怖がっていても何もはじまりはせん。かといって後悔するだろうと思う道を選ぶな。迷って、考えて、這い蹲ってもいい。それがいつかお前の支えになる」
 
 その数日後、すぐその老人は死んでしまった。
 
 言っていることを全て理解できなかった。それが、今なら分かる気がする。
 
 
 そんなことを考えながら、朝葉はバイクの速度を上げた。向かい風はいつしか追い風になっていた。

 

       TOP       

inserted by FC2 system