第一話 強気な彼女と正体不明な男 #02

 

 一度目の出会いは、唐突だった。
 そして二度目は。

 

 夜のホテル。
 街の中にある高級ホテルの大広間で、千郷はバイトにいそしんでいた。もっとも今日はコンパニオンの数もそれなりに多く、千郷のような地味に入る数人はもっぱらお酒やら料理やらを運ぶ従業員の補佐だった。

 先日の騒動は、バイト先の派遣会社の方には報告されておらず、酔っ払いに絡まれていた祐衣も会場であっちこっちお客の相手やらグラスを運んだりと動いている。
 あの後、二人してこれからどうしようかと思って、実は不安だったのだが、派遣会社の方からもバイト先の先輩たちからも何も言われず、二人して拍子抜けしたほどだった。
 心底、よかったと思いながら、千郷は会場を見渡し、もう一がんばりしますかと自分を叱咤しながら歩き出す。
「失礼。シャンパンをいただけるかな?お嬢さん」
 ん?お嬢さん?
 背後からの呼びかけに若干、違和感を覚えながらも、愛想笑いを浮かべながら振り向き、千郷は見事に硬直した。
 ホテルの豪華な照明の下。煌びやかな世界にいるのが違和感なく、それどころか高級なスーツにその長身を包み、口元に笑みを浮かべ堂々としている人物。
「……な、なな」
「また、会ったな。千郷」
 口をぱくぱくとさせている彼女に対して、あの夜、出会った男がにやりと笑った。
 しばらく呆然としていた彼女はここがどこか思い出したのかはっとして、微笑を浮かべる。
「失礼しました。シャンパンですね?どうぞ」
「どうも」
「では、パーティーをお楽しみください」
 軽く一礼して男の前から離れようとしたが、引き止めたのは思いもかけない一言。
「今日はいつまで?」
 またか。ていうか、自分に声をかけるってこの人、目、大丈夫なんだろうか、その前に暇なのかと思いながら決められた通りの答えそうとして―――彼女は眉間に皺をよせた。
 それはそうだろう。人の顔を見て目の前の男がのどの奥でくつくつと笑い出すのだから。
 何がおかしいのだろうか。大体、あの時、会っただけでどうしてこうも気安く話しかけてくるんだろうか。ていうか、人の顔を見て笑い出すとか失礼な。
 男は呆れと若干の怒りと怪訝そうな眼差しを向ける千郷の様子に気づいたのか、笑いを治めるとすいと彼女に身を寄せた。
 千郷が反射的に逃げようとした、が、動きにくい格好の上に、まさか近づかれるとは思わなかったためにその反応が遅れる。
 耳元に寄せられた口から低い男が言葉をつむぐ。
「思ってること顔に出すぎだぞ?お嬢ちゃん」
「な!?」
「おっと」
 首にかかる息と男の付けた香水の匂いやその他もろもろのことに対しての驚愕と羞恥にかっとした彼女は身を引こうとしたが、高いヒールを履いているためにバランスを崩す。そこを男の腰に回された手が支える。

 近くなる男との距離に千郷は体を硬くした。
 元々、彼女は異性に対して淡白といってもいい。こんな風に密着することなど今までなかったし、コンパニオンのバイトをしているといってもそこまで不埒な真似をするような客に地味なためか、絡まれることもなかったのだ。
 恋愛もした経験はあるものの、そんなことに気を回すような余裕もあまりなかったために、どうすればいいのか緊張と羞恥と戸惑いが先行してしまう。
 
 落ち着け。ここはバイト先。ここはバイト先。しかも相手はお客さま、お客だ、お客。
 胸中で言い聞かせるように繰り返しながら、落ち着きを取り戻そうとしている彼女の様子に男が笑みを深めた。
「あんた、わかりやすいな」
「な!?」
 揶揄を含んだ声音に思わず素で叫ぶと、自分の腰を支える腕に力が入る。驚いて相手を見上げると、相手との距離が近いことを知って彼女は益々、体を硬直させた。
 同時に、ここがパーティー会場であり、人の視線を先ほどから感じている千郷は益々、混乱し、羞恥によって顔を赤く染めていく。
 そんな彼女の反応も男は楽しげに見ている。
「気をつけろよ。千郷」
「言われなくても…っ」
 ていうか、だから、なんで、人の名前を気安く呼んでんのこの人は、と、内心で怒鳴りながら羞恥心の限界まで来た彼女は相手を睨み付ける。そんな千郷を見る男の表情はおもちゃで遊んでいる子供のそれだ。
 そして、男は彼女の耳に唇を寄せる。内緒話をするように。
しずかだ」
「は?」
天城静あまきしずか。俺の名前」
「え?」
 わからないと疑問符を浮かべている千郷に男、静は笑みを深くする。
 分りやすい彼女の反応ににやける顔を抑えながら、静は子供のような笑みとは真逆の鋭さを含んだ笑みを浮かべる。
「覚えてとけよ。千郷」
 未だに疑問を顔に出したままの彼女に静は囁くように告げた。
「また、会うんだからな」
 そして、彼女から手を離すと千郷はすぐさま、距離をとる。まるで警戒心をあらわにして威嚇する野良猫だ。その反応にも静はただ笑みを浮かべるだけ。
 一方、千郷は言葉の意味を考える間もないまま、赤くなった顔を見られないようにマニュアル通りに一礼して、その場所を足早に後にした。
 そんな彼女の後ろ姿をどこか可笑しげに、そして苦笑を滲ませながら見送っている静の傍に黒いスーツ姿の男が近づき、声を潜める。
「社長。やりすぎですよ」
「そうか?」
 部下のいさめる声音にも、あっからかんとした笑みを含んだ静の返答。部下の男はその整った美しい顔に呆れとこれからの千郷の行く末を案じて、内心でため息を零した。
 
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