第二話 カウントダウンの始まり #07
静とホテルで過ごした後、午後からの講義に間に合うということで大学に送ってもらった。静は家に帰って休んだほうがいいんじゃないかといってきたけれど、千郷が行くといえば苦笑しながらも頷いてくれた。
あの黒い高級車は目立つので学校の近くまでだったのだけれど。
その車の中でわかったことだったが、千郷はどうやら三日ほどあのホテルで過ごしていたらしい。それを静から聞いたときには思わず「バイト!!」と叫んで、静に呆れられたがこちらにとっては死活問題だ。
無断欠勤でバイトを首になるかもしれないと真っ青になった彼女に、車を運転していた牧に連絡をしておいたと朗らかに告げられ、頭が上がらなかった。
どれだけ人様に迷惑かけているんだよ自分は。もう少しで二十歳になるのにとうなだれ、それを静にからかわれ怒っていたのは記憶に新しい。
数日前の記憶を思い出しながら、千郷が大学内を歩いていると突然、後ろから腕をつかまれた。
「うっわ」
よろけそうになるのを踏ん張って振り返る。そこには友人の一人である小沢明音が、ものすごい形相で立っていた。
あえていうなら「鬼」の形相で。
「ひ、久しぶり。明音」
「久しぶりねぇ。千郷」
引きつる顔をなんとか動かして笑みを作る千郷に対して、明音は朗らかに笑う。が、目は笑っておらず、強い視線を宿している。
「あんた、今までなにしてたの?」
「え、いや、あの…」
「ケータイ連絡してもつながらないし、学校には来ないし?」
「うん、とりあえず、落ち着いて…」
相当、怒っているはずなのに落ち着いた笑みを浮かべている明音の様子が恐ろしい千郷はたじたじになりながらも、何とかなだめようと口を開く。
が、それは火に油を注いだだけだった。
「しかも、倒れたあんたを男がどこかに連れてさったとかって話しもきいたし?心配していたら、大学に来て呑気に歩いているし。………これでどう落ち着けって?」
「はぁ!?男に連れさったって……見られていたんだ」
明音の言葉に肩をすくめていた千郷は連れ去られたという言葉に目を剥き、驚いた。が、すく様、思い当たる節のあった彼女は呆然と呟く。その言葉を明音が聞き逃すはずがなく。
「思い当たることがありそうね?千郷?」
「げっ。いや、あの、ね?明音?それは…」
肩に優しく手を置かれ至近距離で微笑まれて、千郷は呻く。なんとか逃げようと考え、口を開こうとする彼女に友人である明音は容赦がなかった。
「何があったのか説明してもらいましょうか?千郷ちゃん?」
「…………ハイ」
千郷がもはや言い逃れは出来ないと観念した瞬間だった。
大学の近くにあるカフェで友人と二人、向き合う形で座る。
「で?何があったの?」
どんと足を組み、腕を組んだ姿が似合いすぎる明音に千郷は顔を引きつらせながら、カフェオレを飲む。
「だから、さっきも言ったじゃん」
「バイト先で助けてもらった人に、また助けてもらったって?」
「そう」
千郷が平静を装いながら相手を見ると、彼女の目が細まる。それを見て千郷は胸中で悲鳴を上げた。
こ、怖い。怖すぎる!ていうか、なんでそんなに迫力があるの!?この子は!
「あんた、舐めているの?」
「いや、明音を舐めれる人がいるとは思わないけど…」
「何かいった?」
笑みを浮かべた友人に千郷は首を千切れるかというくらい横に振る。嘘は言っていない。主に大事な部分はぼかしているだけであって。
千郷が明音に話したのは大体、こういう話だ。
バイト先で助けてもらった人がいた。その時に、転んで怪我をしてしまってその人にハンカチを借りた。だから、借りたハンカチを返すのに大学まで、その日、来てもらっていた。
咄嗟についた嘘にしては上出来だと思いながらも目を泳がせる千郷をみて、明音はため息を吐く。
「いい?バイト先で助けてもらった人の忘れものを渡すのに、大学まで来てもらったって、そんな必要ないでしょ?」
「う゛」
「ていうか、ハンカチを渡すのだって相手の会社の方とかに出向くなり、別の場所で会えばいいだけじゃない?」
「……ハイ」
「わざわざ、大学にっていうのがおかしいでしょ。何か間違っている?」
「間違っていません」
完敗だとうなだれる千郷に明音が綺麗な笑みを浮かべる。
「で、本当は?」
その質問に千郷は眉を寄せ、困ったように明音を見ると、彼女は厳しい顔をして千郷に確認する。
「あんたの叔母さん関係?」
千郷の表情が一瞬、強張る。が、真剣な表情で明音を見た。
「それはないよ。大丈夫」
「そう」
「うん」
諦めたようにため息をはいた明音は中学のときからの親友だ。高校は違っても一緒に遊んでいたし、何かあったとき一番に相談してきたし、相談にものった。信頼もしている。
だから、千郷の家の状況や周囲のことも知っている。
それでも、今回、正体不明のあの男のことやあった出来事を話すのは、気が引ける。
言えば明音は彼を調べるだろう。実際、傍から見れば、心配されるだろうし、危ないことをしているという自覚もある。だけれど、千郷はその必要はないと思った。
強引でつかめないし、未だに何をしているのかもわからない相手ではあるけれど、ほんの数回あった、ただの女子大学生を介抱して心配もしてくれる人だ。
いい人かどうかはわからないけれど、どうやら絆されてきているらしいと心で苦笑しながら付け加え、明音を見ると彼女は負けたというように軽く手を振りながら、
「わかったわ…。その時は、ちゃんと話してね」
ため息混じりに、薄く笑った。
「ごめんね」
「いいわよ。まあ、あんたの頑固さは知っているし?」
「明音には負けるって」
「わたしは粘り強いの!失礼な!」
二人はカフェの中で他愛ない口喧嘩をしながら笑いあった。